アカイイト-webノベル-第六章「赤い蛇」

第六章「赤い蛇」

ささやかな夕食が終わってからしばらくすると、いつの間にか雨垂れの音は消え、庭からは虫の鳴声が聞こえてきた。

うちの近所でもたまには聞こえたりするが、さすがに辺り一面が棲息地帯になっているこの屋敷とは比べものにならない。

「暇だねぇ︙︙」

「ですねー」

食後の休憩とばかりに畳に寝そべっているサクヤさんと葛ちゃんがやる気の抜けた声を出した。尾花もテーブルの下で丸くなっている。

葛ちゃんが大の字になっているのはいいとしよう。ショートパンツだし子供だし。ただ、浴衣姿で横向きに寝ているサクヤさんが枕代わりに立てた腕はともかく、片足の膝を立てているのはいかがなものかと思い注意する。

「浴衣でそんな格好しちゃ駄目だよ」

「この方が風通しが良くて涼しいんだよ。別にいいじゃないか、女ばっかりなんだし」

「尾花は男の子ですよ?」

「︙︙危ない、危ない。危うくお嫁に行けなくなるところだったよ」

本気じゃないだろうけど、サクヤさんは身体を起こして、軽く襟や裾を正した。

「それにしても暇だねぇ。暇だとついでにだらしなくなっていけないよ」

こきこきと首を回しながら、彼女は縁側に歩み寄る。

「雨も上がったことだし、あたしの車で町にでも繰り出すかい?」

「遊べるようなところ、あるの?」

サクヤさんの提案にわたしは疑問符つきで返答する。

「人が集まりゃ、どこかに盛り場ができるもんさ」

「盛り場って︙︙」

サクヤさんが、くいっとお猪口ちょこを口に運ぶ仕草をしてみせる。

「わたしはパスです。お子様ですので」

「わたしもだよ︙︙ってゆーか、サクヤさん車」

「あちゃー」

車で行ったらお酒は飲めないし、飲みに行くには徒歩かバスかタクシーしかない。

「買ってきてこっちで飲んだら?」

「まー、それもそうなんだけど、ひとりで飲んでもつまらないじゃないか」

「そんなものなの?」

「そんなものだよ」

サクヤさんは素っ気ない返事を返す。私は畳に寝そべる二人の顔を見て、ひとつ提案することにした。

「んー、わかった。みんな暇なんだね?」

「だよ」

「ですねー」

躊躇なく暇と応じたふたりに背を向け、わたしは荷物を漁った。

「それでは、こんなものはいかがでしょうか」

わたしは手の平サイズのプラスチックの箱を取り出す。箱を開けると、そこには角の丸いつるつるとした五十四枚のカード。

「トランプですか?」

葛ちゃんが反応する。

「そうなのです」

「いいけど、あたしは花札とかの方が燃えるんだけどねぇ」

「わたしはあんまり、ゲームの種類とか知らないです」

「ババ抜きぐらいはわかるよね?」

「やったことないですけど、それぐらいなら何とかなるかと︙︙」

葛ちゃんの言葉は自信なさげだった。そんな葛ちゃんに今度はサクヤさんが質問する。

「葛、あんたが知ってるのって?」

「実際に経験あるのは、ブラックジャックとバカラとポーカーぐらいしかないですよ」

「︙︙バカラって?」

「ルール自体はブラックジャックと大差ないものなんですけど、大きな違いというか特徴は、勝敗を競うゲームじゃないってことです」

葛ちゃんの説明を聞いても、わたしは理解できていなかった。

「えーと?」

「そのルールで勝敗を競うプレイヤーとバンカーのどちらが勝つか、または引き分けかを当てるだけの単純なゲームなんです。三択問題です」

「それって︙︙面白いの?」

思わず素朴な疑問が口をついて出る。

「丁半打つのだって、サイコロ振るのは壷持ってる奴だけだろ?」

「そんなこと言われても、そっちの面白さだってよくわからないよ」

「じゃあ、競馬だ。あれだって馬券買って野次飛ばす以外には、見てる以外にすることないし」

「え? 馬とか騎手の人を応援しに行ってる人もけっこういるんじゃなかったの?」

どうもわたしとサクヤさんの会話はかみ合っていないようだ。

「まあまあ、おふたりとも。ここは性格で分かれるところですから、それ以上続けたところで話は平行線ですよ」

わたしとサクヤさんの話を聞いていた葛ちゃんがフォローに入った。

「サクヤさんみたいに勝利すること、あるいは勝者の特権に対しての執着があるなら、バカラも丁半打つのも十分に楽しめます」

「あんたね︙︙自分のことを棚に上げて、あたしだけをがめつい無法者みたいに言うんじゃないよ」

「わたしはやったことあるというだけで、好きとも何とも言ってませんから」

「意外だねぇ、あんたは嫌いなのかい?」

「好きじゃないですよ。そーゆー勝負事って、人やら欲のからむ争いですからね」

わたしとサクヤさんの口論は、葛ちゃんとサクヤさんに飛び火していた。今度はわたしがフォローを入れる。

「だけど、ただのゲームでしょ?」

「かかる人にかかったら、何でもゲームになるんです。古代ローマの見世物しかりですよ」

「葛ちゃん、ちょっと大げさ︙︙」

「そーですね。なんでもひとくくりにできるほど単純じゃないんですよね。今のは少し大人気なさすぎでした」

「大人気って、まだ子供だし」

「いいでしょう。それならゲームを始めましょうか」

そんな会話の後、ようやくババ抜きが開始されることになった。

「やるからには一片の容赦もなく、死体に鞭打つ勢いで敗者弱者を追い詰め貪り食らって勝ちますけどね。そーゆー家風で育っているので」

一瞬、葛ちゃんの目が剣呑な光を帯びたように見えた。気のせいかと思ったけれどサクヤさんにもそう見えていたらしい。

「能書きはともかく、血は争えないみたいだねぇ? 随分とやる気じゃないのさ」

むしろサクヤさんがやる気になっていた。

「だけどねぇ、十年生きたかどうかの小娘に勝負の何がわかるって言うんだい?」

「刹那の刻で悟る者もいれば、八百無量やおむりょうをかけて真理から遠ざかる負け犬もいますからね。生まれついての星の差って大きいですよ?」

「それよりツキが大きいよ。必要なのは運の満ち欠けを見る目じゃないのかい?」

「才能がないのは辛いですね。自分の力で光れないんじゃ、運まかせでもしょーがないですね」

次々と噛みつくサクヤさんに、さらりと応じる葛ちゃん。わたしはというとあわあわしながら二人の顔を交互に見ていた。

「運にも見える天地の利って、結局のところ事前の情報収集と調整作業に負うところが大きいじゃないですか? 季節外れの台風待ちじゃあ、いくら待っても神風なんて吹かないですよ?」

葛ちゃんは肩をすくめて、年端としはに似つかぬ笑いを漏らしながら、呆れたような、哀れむような、視線でサクヤさんを見つめる。その攻撃的な態度はサクヤさんの堪忍袋の緒に切れ目を入れるには十分すぎるほどだった。

「ふふふっ、面白いねぇ、面白い。一大事ってのは時も場所も選ぶ間もなく嵐のように訪れるって言うけどね︙︙」

口元は一応、笑みの形を保っていたが、端の吊り上がり方が不自然だった。

やばい。本気で怒ってる。

そう感じたわたしは慌てて二人の仲裁に入ろうとしたが時既に遅く、浴衣の裾をはだけたサクヤさんは畳を踏み抜くんじゃないかと心配になる勢いで立て膝をつき、葛ちゃんに詰め寄った。

「その言葉をこの場で証明してもらおうか。問答無用に仕掛けられた小細工する間のない勝負で」

「ですから、運より実力だって言ってるじゃないですか。天の利・地の利が五分なら、勝負を分けるのは人しか残ってないんですよ?」

任侠映画の姐さんも真っ青なサクヤさんを相手に、しっかり向こうを張っている葛ちゃんもたいしたものだ。

「覚悟済みならいいですよ。こっちも心を痛めずに、身包みぐるみ剥いで差し上げられます」

「はっ、お子様剥いても楽しかないけど、まだまだ青いってことを思い出させてあげるよ」

「残念ながら、蒙古斑は三年ほど前に消えました」

一触即発の空気に圧されて後退りしていたわたしに、二人が同時に顔を向けた。

「桂、さっさと配りな!」

「おねーさん、お願いします」

「え? え? えーと︙︙配るのはいいんだけど、何枚づつ配れば良いのやら」

「そうだね。まだ何で勝負するかを決めてなかったね」

「そちらが選んで構いませんよ。こちらの言い分に後から難癖つけられたくないんで」

「誰が難癖つけるかい。千年ぶんのハンデだよ、それぐらいはそっちでお決め」

「では︙︙おねーさん、決めてもらえます?」

「それじゃあ」

「それじゃあ?」

「︙︙ババ抜きで」

§

その後三人ババ抜きはちょっと空しかったので、いろいろなゲームを試しているうちに、かなりの時間が経っていた。

サクヤさんと葛ちゃんの成績は、ほとんど五分だった。ひとり負け状態のわたしとしては、何も賭けたりしてなくて本当に良かったと胸をなで下ろす。

「今日のところはそろそろお開きにしようか?」

「そーですね。わたし、いつもならとっくに寝てる時間ですよー」

ふわぁーと大きな欠伸を噛み殺して、葛ちゃんが目をこすった。

そう言えば、葛ちゃんの身に付いている生活習慣は、電気のつかない昨日までの早寝早起き生活だった。

それに中学校に上がる前は、わたしも日付が変わる前にお布団に入っていたわけで、葛ちゃんに夜更かしはちょっと辛かったかもしれない。

「ごめんね、葛ちゃん」

「いえー、いいですよ別にー」

「お布団、わたしが敷いてあげようか?」

「大丈夫ですー。では、失礼しますよー」

むんずと尾花の尻尾をつかみ、ずるずる引きずりながら彼女は居間から出て行った。突然の出来事に尾花はジタバタしたが、そのまま引きずられていった。

「︙︙尾花も災難だねぇ」

「でも、小さい子がぬいぐるみ持ち歩いてるみたいで可愛いかも」

わたしはその後しばらくサクヤさんと他愛のない話をした後、就寝の挨拶をして居間を出る。寝室に戻るとすぐさま布団を敷いて横になった。

眠りについてどのくらいの時が経ったのだろうか。

風鈴のような鈴の音で、わたしは目を覚ました。続けて部屋の中にさざめくような、あどけない感じの笑い声が聞こえてきた。

「うふふ」

「くすくすくす」

誰だろう? 葛ちゃんではないし、サクヤさんでもあるはずがない。それにこの部屋には鈴も風鈴もなかった。その事実に気付いたわたしは、眠気眼から瞬時に覚醒し、布団を跳ね上げて身体を起こす。

泥棒だろうか、それとも幽霊だろうか?

そう思いながら周囲を見渡したとき、わたしは信じられないものを見た。

障子から差し込む月の薄明かりを受けて部屋の中に立っていたのは、和服姿の二人の女の子だった。

「いゃーーーっ!!

わたしは悲鳴を上げながら飛び上がると、女の子たちと反対の壁に張り付いた。奇妙なことに全身が震えているのが自分でもわかる。今の子供たちはいったい何、いや誰なのか。

もう一度女の子たちがいた場所に目を向けるとその姿は消えていた。その代わり、どこから入ってきたのか、部屋の中には大きな蛇がいた。

青白い月光が差し込む薄暗い部屋の中にいてなお目が覚めるほどに赤い蛇。

血の色より鮮やかで火の色よりは暗く重い、そんな色の鱗によろわれた蛇だった。大蛇はわたしの体温が残る布団の上を占領している。飛び退かなかったら咬み付かれていたかもしれない。

その蛇は瞼のない瞳が載った頭をわたしに向けた。風を送った炭火のように熱をはらんで暗がりに赤々と輝く瞳がわたしをしっかりと見据えている。

蛇に睨まれた蛙は恐怖のあまりに動けなくなると言うけれど、今のわたしはまさにその蛙だった。身体中が萎縮して悲鳴すら出ない。解剖を待つ蛙のように、身体を壁に貼り付けたままだ。

その視線だけでもこちらは怯えきっているというのに、赤い大蛇は空気を裂く威嚇音を発しながら、もたげた鎌首を揺らしている。

どうしよう、どうしよう。

どうにかしようと思っても、身体は僅かしか動かない。今のわたしにできるのは、まとまらない思考をぐるぐる回すだけ。それでも必死で対策を考えたが、混乱した思考の渦の真ん中に浮かんだのは、これが夢なら良かったのにという考えだけだった。

起きたら部屋に巨大な蛇がいるなんて、悪い冗談か夢だ。

だけど夢ならもう覚めてもいいはずではないか。現実ならそもそも赤い蛇なんて出てこない。だからこれは夢ではないのかも。

訳のわからない論理を脳裏でこねくり回すわたしを再度脅かすように、蛇の口腔から伸びた二股の舌がチロチロとうごめいた。それと同時に、蛇はいかにもずるりという音がしそうな動きでおもむろに距離を詰めてくる。

赤い蛇が近づいてくる。

蛇の存在そのものが影響しているのか、部屋の空気が赤錆の色に染まってきたように見えた。

赤い蛇はますます近づいてくる。

空気はいつの間にか異臭を帯びていた。鼻を突く爬虫類の生臭さと、それに混じる金気臭さが気持ち悪い。

「かはっ︙︙げほっ、げほげほっ」

鼻腔に押し入ってくる臭いを追い出そうとして、わたしはむせた。瞼に涙が滲む。綺麗な空気を求め、溺れた人のように顎を上げる。 もう駄目だ。

そう思ったとき、赤くぼやけた視界の片隅を青白い光が横切った。  人魂のようにも見えるそれは、ひらひらと部屋の中を舞う。

蛇が光を威嚇するように牙を剥いた。

その光は昨日の夢に出てきた声が発していた光だった。

『桂ちゃん』

わたしの名前をなぜか知っているその声が、頭の中で響く。

「桂ちゃん」

続けてすぐ隣からも同じ声がした。と同時に高く澄んだ音が鳴り響いて空気を震わせ、月の光が部屋を満たす。青白い光は赤い空気とぶつかり砕け、共に夜の闇に溶けていく。

瞬時に異臭が消え去り、途端に呼吸が楽になった。

「桂ちゃん、もう大丈夫よ」

声の主であるらしい光が眼前で揺らめき、どこからともなく聞こえる声はわたしにそう告げる。甘い花の香りがふわりと広がり、青白い発光体は人の形に変化していった。

燐光を発する手がわたしに触れると、身体を縛っていた不可視の結び目がほどけ、身体が動くようになった。

動くようになった首を回して隣を見れば、そこには無数の蝶を従えた和服姿の女性が優しげな面差しを厳しく引き締めて、赤い蛇を見据えている。

「もう大丈夫よ。わたしだけでは頼りないかもしれないけれど」

彼女は蛇から視線を外さないままそう告げる。

蛇と女性が対峙する中、誰も手をかけていないにも関わらず、自動ドアでもない障子戸が開いた。

視線を落とすと、そこには尾花がいた。四本の足と尻尾をぴんと伸ばして、真っ白い毛を逆立たせながら、燃えるような紅い瞳を蛇に向けている。

「尾花、危ないよ!」

慌ててわたしは尾花に警告を発するが、それを遮るように和服の女性が言った。

「大丈夫。桂ちゃん、心配いらないわ」

そんなことを言われても、赤い蛇は成人男性の腕ほども太さがあり、長さもそれに見合った大蛇だ。対する尾花は、葛ちゃんが肩や頭に乗せられるほどの小さな子狐にすぎない。もう少し両者の大きさが近いなら、ハブと闘うマングースのような活躍を期待できなくもないが、この差の開きではどうにもならなさそうだ。

「尾花、逃げて。サクヤさんを呼んできて!」

サクヤさんは外国のジャングルにも写真を撮りに行っている。日本にはいないような大蛇や毒蛇も見たことがあるだろうし、対処の仕方も知っているかもしれない。

だが、尾花は身構えたまま部屋に留まったままだった。

尾花とわたしたち、赤い蛇は位置関係的にちょうど正三角形を形作っている。尾花がいる場所は赤い蛇から見れば、わたしたちと同じ距離だ。

蝶を従えた女性を侮り難しと見たのか、くみやすしと見たのか、いずれかは不明だが、赤い蛇はぐるりと体を逸らして尾花と睨み合った。

先に動いたのは、赤い蛇だった。

もたげた鎌首を少し後ろに引いたかと思うと、鞭のような鋭さで先端にある牙を尾花に叩き込もうとする。

だが蛇の頭は空振りして畳にぶつかった。すでに尾花の姿はそこにはない。

頭上から音が聞こえたかと思うと次の瞬間、消えたかに見えた尾花が蛇を上から押さえ込み、その頭に噛みついていた。

蛇がこしゃくな獲物を振り払おうと体をよじらせたが、尾花は再び跳んで姿を消す。その動きはとても子狐とは思えなかった。

目を凝らしてみたが、白い線のような残像しか見えない。

尾花は部屋の天井や壁を使って縦横無尽に飛び回り、敵に対して着実に攻撃を積み重ねていく。その様はさながら天性のハンターだった。

「うわぁ」

呆気にとられたわたしが口を開けたまま見ていると、ズバッという痛そうな音を最後に尾花は最初の位置に戻った。

すると、尾花の素早さに反撃の暇もなく一方的に攻められていた赤い蛇がピントの合っていない写真のようにぼやけて蛇は赤い霧となり、空気に溶け込んで消えてしまった。

一連の信じられない出来事をぼんやりと眺めていたわたしの耳に、先程の和服姿の女性の声が聞こえてきた。

「実際には在り得ざる、実体を持たないまやかしだからよ」

「まやかし?」

「そう。わたしと同じ、この世の理から外れた存在だから」

言葉を紡ぐ口が閉ざされると同時に、先程の赤い蛇と同じく、わたしの右隣に立っていた彼女の身体もぼやけ始めた。

「あ︙︙」

そしてわたしがお礼の言葉を発する間もなく、消えてしまった。

「︙︙幽霊?」

わたしは腰が抜けて、その場にしゃがみ込んだ。

時間にして一分も経っていないだろうあとに、お尻の触れた畳がどすどすと振動していることに気づいた。

「???」

首を傾げる間もなく、床板の踏み鳴らされる音が聞こえたかと思うと部屋の前で踏み留まる音がして、開いた障子戸の向こうにサクヤさんらしい影が見えた。

「桂!! どうしたんだい!? さっきの悲鳴は何事だい!?

「あ、うん、大丈夫、大丈夫」

「何があったんだい!?

「いや、あのね目が覚めたら大きい蛇がいて、悲鳴を上げたら女の人が出てきて、そうしたら尾花が来て蛇をやっつけてくれたの!」

「︙︙︙︙」

サクヤさんの顔から真剣な硬さが抜けて、残ったのはわたしを馬鹿にするような呆れ顔だった。

「はっ︙︙なんだい、寝ぼけてただけかい」

ぼりぼりと頭をかきながら、引き返そうとする。

わたしの説明は荒唐無稽な状況の羅列みたいなものだったが、それにしても「寝ぼけてただけかい」の一言で済まされたのには少し腹が立った。

「大変だったんだよっ!?

「あー、はいはい。あんまり大声だすんじゃないよ。近所迷惑だからね」

「近所なんてないもんっ!!

「はいはい、そーだね、その通りだね。それだけ状況認識力が働いているなら十分さ。それで、あんたを襲ったっていう蛇は?」

「へ?」

「蛇は?」

辺りを見回したが、蛇がいた痕跡は何も残っていなかった。

「︙︙その、消えちゃったけど︙︙」

「へー、初めて聞いたね。蛇っていうのは消えるものなのかい?」

「ううっ」

実際に見ているのはわたしと尾花だけで、しかも尾花には証言能力がない。信じてほしいとしか言いようがなかった。

「大方、夢でも見ていたんだろ。ひと眠りして夜が開けたら、忘れてるかもしれないよ」

「でも︙︙」

「とりあえず、何をするにも話すにも明日だよ明日。そんじゃ、まあ、おやすみ」

サクヤさんは、あくび交じりにそういい残して、自分の部屋に帰っていった。

「やっぱり普通は信じてもらえないよねぇ、尾花︙︙」

撫でようと思って伸ばした手が、空振りした。

「あれ? 尾花ちゃーん?」

サクヤさんと話している間に、尾花は出て行ってしまったようだ。

障子戸の開いた廊下側から月光の差し込む部屋の中には。わたしひとりしかいなかった。何事もなかったかのように辺りは静まりかえっている。

「︙︙寝よう」

障子戸を閉めて、わたしは布団の上に横たわった。

泥のようなまどろみは、さっき起こった超常現象を反芻する前に訪れた。

わたしはそのまま深い眠りに落ちていった。

《第六章 了》

第七章「ニヌリヤ」
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